神の手

世間では怪しい発掘家の話で持ちきりのようやな。確かにあれはまずいやろう。しかも、自分で埋めてるところをビデオで撮られてもうたら言い訳はできひんわな。魔が差したんか、常習犯なんかはわからへんけど、かなり残念な出来事やったわ。

で、いろいろと新聞報道を見ると、この発掘家は「神の手」を持つと言われてたらしいな。なんでもこの人が掘ると、すぐに出てくるとか。そういうところから「神の手」と言われて尊敬を集めてたらしい。

ところがや、わしの感覚っちゅうか、ちょっとサッカーファンの感覚でいうと「神の手」を持つ男なんてメッチャ怪しいんとちゃうんかとなってくるねんな(^^;。これはどういうことかっちゅうと・・・・。

1986年のメキシコW杯の時に遡るわけや。この大会の準々決勝・アルゼンチン対イングランドの試合は最初から激しい試合やった。前半を0-0で折り返して後半始まってちょっとしたときにその事件は起こったんやわ。イングランドのゴール前に上がったボールにマラドーナが飛び上がり、確かに手に触ってゴールに入れたんやわ。ところがそれが審判には見えなかったらしく、ゴールを認めてしまったんやな。もちろん、イングランドは激しく抗議したんやが、判定は覆らへんかった。

そのあと、今度は足で「神業」をマラドーナが見せた。5人抜き60m独走のゴール。これは見た人も多かったんとちゃうかな。試合はこのあとイングランドリネカー(懐かしい)のゴールで1点を返したものの、1-2で破れた。結局この大会、アルゼンチンが優勝してしまったため、このマラドーナの2つのゴールはメキシコ大会の象徴になったわけやな。

実は、この試合の後のマラドーナのコメントがふるってた。「神の手とマラドーナの頭で決まったゴールだ」。以降「神の手」と言う言葉はサッカーファンの間ではおなじみの言葉となったわけ。使うときはどちらかというと、反則(特にハンド)を見逃して貰ったとか、悪いことをしたのに見つからなかったとか、ネガティヴな意味で使われる事が多いっちゅうわけや。

そやから、今回の怪しい発掘家の事を事前に「神の手を持つ男」なんて聞いてたら、わしはきっと疑いの目で見たやろうな(笑)。

そうそう、マラドーナの話には後日談があるんやわ。4年後の1990年イタリアW杯。ソ連戦でマラドーナはシュートを右手で叩き落としたんやけど、なぜかこれも見逃されたわ。「神の手」を作るのは本人やなくて、やっぱり周りの見えてない連中やねんやろうなあ。